ドキュメンタリー作品「骨を掘る男」の制作過程に向き合った書籍だが、奥間監督の育ってきた個人的な「沖縄」そのものが、また別の物語として、丁寧にそして鮮やかに描かれており、この書籍自体でまた別の作品と呼べるほどの重層的な質量を持っていた。 トートーメーを背負い、植民地化された歴史を背負う沖縄の人々の存在。それは翻って、トートーメーを背負わず、沖縄を植民地化してきた歴史にさえも無自覚な我々、移住者や観光客にとっては、鏡のような問いかけとして迫ってくる。 私は何を背負っているのか。どこから来て、何を見て、何を見ていないのか。 この島に暮らす人々が代々受け継いできたものの重さを前にしたとき、私のような本土出身の移住者は、自分がいかに身軽であるか、軽薄であるかを思い知らされる。その身軽さは、無意識のうちに誰かの犠牲の上に成り立っているのかもしれない。 歴史を知らないこと、知ろうとしないことは、加担と呼べるのではないか。 この書籍は、そんな問いを静かに、しかし確実に突きつけてくる。声高に糾弾するわけでもなく、答えを押し付けるわけでもない。ただ、奥間監督自身の記憶と肉声を通じて、読む者それぞれの足元を照らし出す。 遺骨を掘るという営みは、忘れられた者たちの名前や存在を地面の中から掘り起こす行為だ。そしてこの書籍もまた、忘却に抗う一つの記録として、静かに、しかし力強く存在している。