10年という時の流れを痛感するのは、自分の子どもでもおかしくない年齢の、18歳、19歳の米兵と街で出会う時だ。ある10代の米兵と街で話していて、「寿司が好き」と言うから、「何のネタが好き?」と聞いたら、「ハンバーグ」と答えた。ここまでは笑い話だったが、この話を、以前京都で働いていた知人にすると、「ある舞妓が、お客さんから『何が食べたい?』と聞かれて、『オムライス』と言った話を思い出した」と言う。なんだか悲しい気分になった。10代から男性客を相手にする接客の世界に入る舞妓さんと、10代から従軍する米兵。どちらもまだ、ほぼ子どものうちに、職業を選択していることをあらためて考えさせられた。沖縄へ来たばかりの頃は、まだ頬の赤い、ほとんど少年のようなアメリカの田舎町出身の純朴な青年が、1年もたつとマッチョになり、タトゥーを増やし、酒場で羽目を外している。そんな光景を見るのが今の沖縄だ。そんなことを考えていたら昨日、名護のうちの近所で、米兵が車内で死亡しているのが見つかった。海兵隊員で手には小型拳銃があったとのこと。場所は、私が通っている病院の隣の駐車場だった。病院から処方箋を持って薬局へ向かう時、いつも歩く場所だ。21日午後3時11分ごろ。名護市の中心部、まだ夏休み中の小学生が外で遊んでいる時間だ。冷や汗が出る。銃声を聞いた人もいる。県警は、自殺の可能性も視野に入れながら、事件と事故の両面から調べている。何が起きたのかは、まだわからない。本人がどのような事情を抱えていたのかも明らかになっていない。ただあの場所は、名護の飲食街の中で珍しく、米兵向けの店がある一角だった。現時点でその死を自殺と断定することできないが、もし自ら銃口を向けたのだとすれば、その銃口が他者へ向かわなかったことを安堵する。一方で、一人の人間が命を落としたことに、やはり悲しみが込み上げる。そして同時に問われるのは、なぜ、基地の外に銃があるのかだ。今後の捜査で、徹底して明らかにしてほしいが、そこには日米地位協定の高い壁が存在する。過去にも、米兵が銃器を基地の外へ持ち出す事件は起きている。2018年12月には、嘉手納基地所属の空軍兵が拳銃を所持したまま基地から脱走し、読谷村宇座の民間住宅地でMP(米軍憲兵隊)に拘束された。その米兵は精神面の治療を理由に米国へ移送された。その後、日本の刑事司法によって訴追、処罰されたことを示す資料は、見当たらない。2014年10月には、北谷町のキャンプ桑江にある米軍居住区域で、M16ライフルを所持した海兵隊員が自宅に立てこもる事件が起きた。米軍はMPや救急隊を出動させ、周辺の住民を避難させた。この隊員が立てこもる以前に、ライフルを所持したまま民間地域を移動していたことも問題となった。この米兵には精神的不調がありながら、アフガニスタンへ派遣された経歴があった。この事件の処分も戒告と減給という非常に軽いものだった。また2018年11月、ロサンゼルス郊外のサウザンドオークスにあるバーで、元海兵隊員が銃を乱射し、12人を殺害した後、自殺した。この元海兵隊員は機関銃手としてアフガニスタンに派遣された経験があり、その後は沖縄で4年間、教官として勤務していた。PTSDの可能性も報じられた。米兵が銃器を基地の外へ持ち出す事案が、過去に繰り返し起きていることは事実だ。そして、従軍で病んだ心も同時に基地の外に持ち出され、時にそれは沖縄県民への暴力に姿を変えてきた。今月4日深夜には、嘉手納基地内で「銃撃が発生した」「銃を持った人物がいる」との通報があり、基地が約1時間封鎖された。米軍はその後、「脅威は確認されなかった」と発表したが、通報の具体的な内容や、基地内で何が起きていたのかについては明らかにしていない。沖縄防衛局や嘉手納町、県警にも、十分な説明はなされていない。私は、この不透明さが引っかかり、取材を続けている。今週は、那覇空港から麻薬密輸の疑いで、キャンプ・キンザー所属の21歳の米海兵隊員が告発された。西原町では、女性宅のベランダから室内へ侵入した疑いで、米軍属の男が緊急逮捕された。航空自衛隊、F15戦闘機の着陸事故が発生し、那覇空港のB滑走路は約4時間閉鎖された。辺野古の建設の関連業務を請け負っていた名護市の貨物運送業者は、約3千万円を脱税したとして起訴された。基地や軍隊に関連する事件、事故、不祥事が続いている。2025年、沖縄県警による米軍人、軍属の刑法犯摘発件数は101件に上った。100件を超えたのは22年ぶりだった。冒頭の、ハンバーグ寿司が好きだと言った若い米兵は、これからどんな大人になるのだろうか。どんな兵士となり、どこへ派遣されるのだろう。彼もいつか誰かに銃口を向けるのだろうか。お盆と沖縄県知事選挙が間近に迫る週末、私はざらついた気分で過ごしている。風が強い。気づけば、台風がまた近づいている。写真は米兵が拳銃自殺したと見られる現場、駐車場。