沖縄県知事選挙2026取材ルポ「基地か経済か、ではなく」下地ミキオ候補の突然の撤退で、玉城デニー候補と古謝玄太候補の大接戦となっている沖縄県知事選挙。沖縄に住んで10年の筆者にによる告示3日目までの取材ルポ。ミキオ撤退の影響情勢調査で、古謝陣営はジリジリと追い上げていたものの、現職玉城デニー知事との差は、告示が近づくにつれて、またひらいていた。このタイミングは、参政党からの推薦があった時期でもあり、SNSで某哲学者が非常に上から目線で、歴史認識の乏しい「沖縄県知事選論」を語った時期と符合する。実は今まで翁長知事からデニー知事を支持してきた人の中にも、そろそろ一回、自民に渡す方が、オール沖縄の次の勢力の再結集ができるのではないか?沖縄県知事は歴史上、保革保革と概ね交互に勝利してきたので、それもバランスがいいのではないか?と言う声が聞こえてきていた。しかし、参政党の推薦や、某哲学者の歪んだ沖縄県知事選論を受けて、そうした人々も、「いや、やっぱり沖縄は舐められている。」「内地の理屈に押しつぶされてはいけない」と、もう一度、アイデンティティに火がついたと言う声があった。この層が案外、多いように思う。とくに沖縄の若い文化人の中でこの気配は強く感じられた。単純な票の足し算なら参政党の約5万票が古謝陣営に乗るはずだったが、情勢調査に、その効果は現れなかった。この状況に焦りを感じたのが、高市自民党サイドだ。沖縄県知事選を自民が取らなければ、高市おろしが自民党内から始まるとの気配が濃厚だからだ。政府、官邸サイドは西村選対委員長、鈴木幹事長、鈴木ムネオ議員らを動かし、第3極だった下地ミキオ氏と政策協定を結び、出馬撤退に漕ぎ着けた。保守分裂を避け、古謝陣営はミキオ氏の約5万票を取り込んだかに見えたが、沖縄の選挙が票の単純な足し算にならないことを官邸サイドは、まだ理解できていない。まず、自民党本部が沖縄県連を事実上飛び越え、下地幹郎氏側と直接政策協定を結んだことで、県連内部に亀裂が生じている。沖縄1区で下地氏と対立してきた國場幸之助衆院議員は、「地元を頭越しにする決定は認められない」と党本部に抗議。さらに、党本部が下地氏を加えた「保守一本化」を掲げる一方、県連は下地氏側と「接触も交渉もしない」と決定しており、選挙協力の方針が党本部と県連で食い違う異例の状態が発生している。古謝候補は、ただでさえ沖縄自民党の生え抜きではなく、選挙で一度も勝利したことがない人物だ。通常、県知事候補までになる人物は、いわゆる「雑巾掛け」と呼ばれる下積みをするものだ。議員の秘書をしたり、市議、県議などを経て、有権者や党内の信頼を勝ち取り、国政候補や県知事候補となる。これらを経ていない古謝候補は、他の自民党県連の議員からすれば、「飛び級」の印象が強く心象が良くない。那覇副市長に就任したのも、自民党本部が県知事選を見据えて肩書きと「実績らしきもの」を与えるために用意したイスで、選挙という有権者の付託を得ていない。東大卒のエリート官僚という背景で優遇され、中央から送り込まれた沖縄県知事候補。ステルス無所属にまでして、そのイメージをひた隠しにしてきたが、いわば事実上「沖縄県知事を中央自民党政府の手に取り戻すために出向してきた『公務員』」にすぎないことが、今回の高市首相の介入により、明白になってしまった。玉城デニー候補陣営は、この中央からの介入に鋭く反発した。選対本部長を務める高良さちか参議院議員は、出発式で、「令和の琉球処分」という言葉を使った。「ヤマト自民党の沖縄自治への不当な介入、沖縄を言いなりにしようという本音が見えている」と強い語気でスピーチした。「戦前の沖縄では、日本政府が任命した『中央からの官僚』が知事を務めていた。まるでその時代に戻される気分だ。」と、ある玉城支持者は語る。高市首相の選挙への介入が重要な争点となり、沖縄の自治、アイデンティティの回復を訴えることで玉城デニー陣営は、大きな熱を帯びた勢いで選挙をスタートさせた。両陣営とも「県民党」を名乗り、その称号を取り合う今回の選挙だが、誰に決定権があるか、イニシアチブがあるかを冷静に捉えれば、どちらが「県民党」と呼ぶに相応しいかは、この高市介入によって一目瞭然となった。また、古謝氏の支援を表明した下地ミキオ陣営と公明党との相性も良いとは言えない。そもそも、参政党との相性も悪い中で、公明党の支持母体である創価学会員の動きも鈍くなっている。公明党はひとり一票ではなく、ひとりが友人に呼びかけることでF票(フレンド票)を獲得することに選挙の強さがあったが、今回の選挙ではそのF票が伸びないことが想定される。実は、前回2022年の県知事選では、自民支持層の25%、公明支持層の31%が玉城デニー氏に投票したとののデータがある。(読売新聞)呉越同舟の古謝陣営はまず、自民、公明支持者を固め切れるかが、この選挙の焦点となる。ネットに飛び交うデマと誹謗中傷今までもそうであったが、3月の辺野古の事故以降、今までの何倍もの途方もない悪意が押し寄せている。この10年、沖縄の基地反対運動にまつわる状況を見てきて、火のないところに煙が立つ状況だった。その状態で実際に死亡事故を起こしてしまったのだから、この事故を政治利用したい人々が、ネット上に全国から罵詈雑言を浴びせ薪をくべ続けている。10年以上前の動画が、辺野古だと言って拡散される事案もある。それはたいてい高江のものだし、現在は行われていない活動ばかりだ。「玉城デニーは人殺し」など、辺野古沖の転覆事故に関する誹謗中傷が大半を占める。しかし、現在までの捜査結果に、沖縄県知事個人に事故の直接的な責任があると認定できるものはない。県の平和学習支援制度や今回の事故を検証することと、知事を「人殺し」と呼ぶことは、まったく別次元の問題である。特別調査委員会からの調査報告書知事の責任を求める声も、ほとんどが事実誤認や陰謀論を元に形成されている現状がある。ネット上の無責任な人々が収益化目当てで広めた虚偽によって、生み出され続けている。※現状、玉城デニー候補への付きまといや選挙妨害も起きている。これらの言説は、事故遺族の「事故の検証は、基地への賛否とは切り離して行われるべきもの」との主張とも矛盾し、事故の検証を遠ざけるものだと感じる。デマに基づいた認識による言動が選挙や実社会に影響することは、誰にとっても不利益だ。世の中が狂って、腐っていく。まるで目の前の人が毒を飲むのを見ているような気分だ。まず、重要な点として、選挙に関するデマは公選法違反となる。落選させる目的で、候補者について虚偽や歪曲した事実を公表すれば、公選法235条2項に抵触する可能性がある。また悪質な誹謗中傷は、名誉毀損罪や侮辱罪が成立する場合もある。例えば「候補者が誰かを殺した」「外国勢力から資金提供を受けている」などと、根拠なく事実として拡散すれば該当する。こうした公選法が広く知られてほしいし、SNSのプラットフォームも一刻も早く、こうしたデマの対策をしてほしいところだ。この状況では、まともな選挙、民主主義など成立しない。私のSNSにも、放っておくと2分間に9件という異常なペースでデマや誹謗中傷が押し寄せている。「今回は本当にわからない。どこまでネットのデマに有権者が影響されるか、予想できない」と玉城陣営関係者は言う。ただ、私はこの件に関して貴重なデータがある。ある沖縄在住の女性が玉城デニー候補応援の画像をSNSに投稿したところ、数万件という数の誹謗中傷が寄せられた。この誹謗中傷の発信源を調べると、約95%以上が沖縄県外からのものだったという。サイトの性質上、細かいデータまでは見ることができないが、この数字は、私が取材しての皮膚感覚とも符合する。途方も無い量の誹謗中傷、デマが押し寄せている今回の知事選だが、そのほとんどは、有権者ではない県外からのものであると推察できるデータだった。こうしたネット上の流言や中傷が、どの程度、沖縄の有権者に影響を及ぼすのか。また、高市陣営に疑惑があるように、スマホ農場などを使い作為的に流されているものではないか。引き続き検証が必要である。両陣営街頭演説「平和だからこそ」玉城デニー候補玉城デニー候補の第一声は、自身のルーツである伊江島に祈りを捧げることから始まった。本部町、備瀬の地元の方々とともにウートートーする(祈りを捧げる)光景に、琉球保守としての玉城デニー候補の本質を見た気がした。%3Cblockquote%20class%3D%22twitter-tweet%22%20data-media-max-width%3D%22560%22%3E%3Cp%20lang%3D%22ja%22%20dir%3D%22ltr%22%3E%E7%8E%89%E5%9F%8E%E3%83%87%E3%83%8B%E3%83%BC%E5%80%99%E8%A3%9C%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%A3%B0%E3%81%AF%E3%80%81%E6%9C%AC%E9%83%A8%E7%94%BA%E5%82%99%E7%80%AC%E5%B4%8E%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%81%E8%87%AA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E4%BC%8A%E6%B1%9F%E5%B3%B6%E3%81%AB%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%82%92%E6%8D%A7%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82%3Ca%20href%3D%22https%3A%2F%2Fx.com%2Fhashtag%2F%25E6%25B2%2596%25E7%25B8%2584%25E7%259C%258C%25E7%259F%25A5%25E4%25BA%258B%25E9%2581%25B8%25E6%258C%2599%3Fsrc%3Dhash%26amp%3Bref_src%3Dtwsrc%255Etfw%22%3E%23%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E9%81%B8%E6%8C%99%3C%2Fa%3E%20%3Ca%20href%3D%22https%3A%2F%2Ft.co%2Fc5e68h3o0q%22%3Epic.twitter.com%2Fc5e68h3o0q%3C%2Fa%3E%3C%2Fp%3E%26mdash%3B%20%E7%8C%AA%E8%82%A1%E6%9D%B1%E5%90%BE%2FTOGO%20INOMATA%20(%40oogesatarou)%20%3Ca%20href%3D%22https%3A%2F%2Fx.com%2Foogesatarou%2Fstatus%2F2092867004596461589%3Fref_src%3Dtwsrc%255Etfw%22%3EAugust%2027%2C%202026%3C%2Fa%3E%3C%2Fblockquote%3E%20%3Cscript%20async%20src%3D%22https%3A%2F%2Fplatform.x.com%2Fwidgets.js%22%20charset%3D%22utf-8%22%3E%3C%2Fscript%3E%3Ciframe%20width%3D%22560%22%20height%3D%22315%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FznMHlL4oHcE%3Fsi%3DZnY0GwgDZQXhGQld%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3E%3C%2Fiframe%3E駆けつける聴衆は、地元の高齢者を中心に女性や子どもが多い印象を受ける。前回の知事選では、男性の47%、女性の57%の支持を集めており、女性人気の高さは続いている。また、出発式に元自民党沖縄県連会長の照屋守行氏の姿があったことにも驚かされた。スピーチは、相変わらず流暢で起伏に富み、その中に強い信念を感じさせるものだった。その言葉にはネット上のデマを吹き飛ばす気迫と安心感が同時に宿っていた。出発式では、首里城の火災や豚熱、コロナ禍を乗り越えてきた8年間の実績を語った。デニー県政の特筆すべき点の一つが、子どもの貧困対策だ。子どもの居場所づくり、無料学習支援、就学援助、支援員配置などを継続。子どもの貧困対策推進基金は、第1期の30億円から、第2期は約60億円へと規模を拡大した。子どもの医療費助成を中学校卒業まで広げたことも大きな成果だった。県の調査では、困窮世帯に該当する子どもの割合は、2015年度の29.9%から2023年度には20.2%へ低下した。9.7ポイント、比率にすれば約32%の減少である。辺野古をめぐる国との対立ばかりが報じられる一方で、子どもの貧困対策では国とも連携してきた側面は、あまり知られていない。「基地問題ばかりで、経済や暮らしに弱い」と評されがちなデニー県政だが、県財政の規模も拡大している。一般会計当初予算は、2019年度の7349億円から2026年度には9468億円となり、2119億円、約29%増加。県政史上初めて9000億円を超えた。そして3期目に向けて打ち出したのが、「おきなわゆいまーる基金事業」。生活保護など既存制度の基準からわずかに外れ、困窮していても支援を受けられない「制度の谷間」の人に対し、一定額を支給する構想である。交通政策では、新たに「交通・まちづくり部」を設け、交通、沿道開発、基地跡地利用を一体的に進める方針を示した。本島南北を結ぶ鉄軌道についても、具体的な導入に着手することを公約に掲げた。「平和だからこそ、勉強。平和だからこそ、将来」という言葉が印象に残る。辺野古新基地建設への反対と、経済や暮らし、子どもへの支援は別々の政策ではない。平和を守ることと、県民が安心して生活できる基盤をつくることを、一貫して県政理念としてまとめ上げている。貧困や社会課題を自己責任で切り捨てず、社会で責任を共有し解決していく、弱いものの立場に根ざした政治という印象を受ける。それはデニー知事が米兵の子として生まれ育ってきた出自とも色濃くつながっているだろう。明るさと前向きさ、その存在感で有権者に希望を与える。あらためて人間みのある政治家だと感じた。名護の市街地での街宣では、支持者と握手するフットワークの軽さに地元記者も驚いていた。「誰かのせいにしない」古謝げんた候補「誰かのせいにする沖縄はやめよう。」古謝候補の第一声は物議を醸していた。以下、演説より抜粋「それは、誰かのせいにしない沖縄を作りたいという思いです。この沖縄は本当に多くの苦難の歴史に直面をしてまいりました。81年前の太平洋戦争、地上戦によって県民の4分の1が亡くなられた時代。そしてその後の27年にわたる米軍支配下。大変な状況を生き抜いてきた。国のせいで、世界のせいで苦しんできた。それを耐えて耐えて今の沖縄を作ってきた先人の皆様には深く敬意を表します。しかしながら私はこう思います。そろそろ新しい時代を作ってもいいんじゃないかと。国のせいで、国を悪者にして、あるいは大企業、県外の資本、こうしたところを悪者にして、沖縄の暮らしが良くならないと嘆くのは簡単ですけれども、それでは沖縄は変わりません。誰かのせいにして今を諦めるのはもうやめましょう。」%3Ciframe%20width%3D%22560%22%20height%3D%22315%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FsmyUGYCLAZA%3Fsi%3DiX1eWJDvwDMMT-SZ%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3E%3C%2Fiframe%3E29日、名護市内での街宣は、作業着の男性で溢れていた。相変わらずの自民党選挙の風景。特に名護では辺野古建設による利権が直接収益になる建設企業が多く、その企業の動員に支えられている印象だった。私がもし外国人観光客で、この光景を偶然見かけたら、男性優位社会を強化する団体の活動だと思ってしまうかもしれない。(まあ実際、遠からずだと思う。古謝候補は「家族時間2倍」を掲げる一方、女性に偏るシャドーワークをどう是正するのか、制度設計を示していない。)一方、今回の自民、維新、国民民主、参政、公明党県本部、日本保守党の推薦という各政党の旗を女性たちが持っていた。その中には、代表が「男女共同参画は間違いだった」と主張する参政党の旗もある。旗を持つ女性たちは、この発言を知っているのだろうか。「県政奪還」という旗がはためく。古謝候補本人が到着するまで、地元市議や市長の演説が続く。「県政停滞」や「この8年間、県政は何もやっていない」「子どもたちの未来といって何もできなかった県政」「(自民系)現市長になるまで名護は暗かった」など、公選法違反グレイの危なっかしい言葉が並ぶ。思ったより攻撃的だ。なかでも、ある名護市議の「デニー県政は公約を3%しか達成していない」という発言には驚いた。この数字は、1期目の公約291項目のうち、県が「完了」と分類した8項目だけを数えた2022年のものだ。まして貧困対策や人材育成など、継続が必要な政策は「完了」に含まれない。ファクトチェックの基準に照らせば、ミスリードに該当する発言だった。「誰かのせいにしない」と言いながら、ここまでデニーのせいにしまくる選挙演説は、なかなか見ない。トランプ大統領を彷彿とさせる選挙スタイルだ。男だらけの野太い声が響く中、いよいよ古謝候補がやってきた。「誰かのせいにしない沖縄」ここでも繰り返された、「国や県外企業のせいにして愚痴を言うだけでは沖縄は変わりません。新しい時代にいこう」という美辞麗句が並ぶ。しかし、現在の沖縄の貧困は、沖縄県民のせいなのだろうか?1972年に「本土」復帰してから、沖縄の県民所得は常に全国最下位である。これは構造の問題なのではないだろうか?「誰かのせいにしない」一見するとポジティブに聞こえる言葉だが、その実、問題解決のための原因究明や責任を放棄し、それを自己責任論に結びつける。政治家というよりは、経済合理性を追求する企業家の発言のように聞こえた。そして、ここで完全に無視されたのが米軍犯罪だ。沖縄では昨年度、米軍関係者の事件が100件を超え、22年ぶりの多さ。近年増加傾向にある。辺野古の新基地建設を推進する古謝候補は、米軍犯罪も「誰かのせいにしない」のだろうか?米軍基地由来のPHOS、水質汚染も「誰かのせいにしない」のだろうか?前時代の遺物のような構造、基地負担の過集中や米軍基地からの被害が深刻に残り続ける沖縄で、それと向き合わずに、愚痴も言わずに、次の時代にいけるのだろうか?甚だ疑問を感じた。辺野古の建設を推進するのであれば、せめて米軍犯罪を抑止することを公約に掲げなければ、人道的な政治家とは言えないだろう。また、古謝候補は、手取り2倍子育て支援2倍家族時間2倍観光消費2倍という、公約をすでに発表している。この件を細かく見ていこう。まず、問題となるのは、手取りを2倍に増やす。と県民所得を2倍にする。を混同している点だ。所得が増えれば、原則として社会保険料や税負担も増えるため、額面所得が2倍になっても手取りがそのまま2倍になるわけではない。当たり前の話だ。古謝氏は社会保険料の引き下げも掲げるが、その多くは国の制度であり、県知事だけで実現することはできない。沖縄県だけ社会保険料を下げると言うのも現実的ではない。国との交渉でどの制度をどこまで引き下げるのか、具体的な説明はなく、県が補填するにしても、その財源は示されていない。また、古謝氏が掲げる「10年間で県民所得を231.5万円から500万円へ」という目標には、毎年約8%の名目所得成長が必要となる。これは高度経済成長期に近い伸び率だ。高度経済成長期の日本には、増加する若い労働力、農村から都市・製造業への大規模な人口移動、旺盛な設備投資に加え、世界経済の拡大を背景とした輸出産業の成長があった。鉄鋼、造船、自動車、電機製品などを大量に生産して海外へ輸出し、外貨を獲得。その利益が設備投資や雇用、賃金の増加につながる循環が形成された。さらに、エネルギー源が石炭から、安価で大量に輸入できる石油へ転換する「エネルギー改革」が進んだ時期だ。石油化学、鉄鋼、自動車、電力などの産業が急成長し、大量生産・大量輸送・大量輸出・大量消費型の経済を支えた。一方、人口減少と人手不足が進み、観光・サービス業への依存度が高い現在の沖縄には、当時の石油への転換に匹敵するような、経済全体を一気に押し上げる産業・エネルギー構造の変化は、確認できない。製造業の集積が小さく、県外・海外へ大量に輸出して所得を稼ぐ産業基盤も、当時の日本とは大きく異なる。高度成長期とは前提条件が大きく異なり、年間約8%の所得増加を裏付ける具体的根拠は、現段階では不足している。観光収入2倍についても、観光収入が増えることと、それが県内企業の利益や県民の賃金として残ることは同じではない。いわゆる、ザル経済を脱却するというが、その具体策も公表されていない。結局は、選挙になると空手形の自民党なのかもしれない。点ではなく線で見ると、自民党候補は沖縄の選挙中、その場しのぎの耳触りの良い公約を乱発してきた過去がある。2016年の宜野湾市長選で、佐喜真淳氏は普天間飛行場の返還跡地への「ディズニーリゾート誘致」を選挙の目玉に据えた。しかし、佐喜真氏当選後も運営会社のオリエンタルランドは要請を受けただけで、進出を決定することはなかった。2018年の県知事選では、「携帯電話料金の4割削減」を掲げた。ところが、携帯電話料金は民間事業者が設定するもので、県知事に決定権はない。総務省も当時、国や県が事業者に対して特定の料金を命令する法的権限はないと説明していた。沖縄県知事の公約として実現を保証できる政策ではなかった。同じ選挙で佐喜真氏は、1人当たり県民所得を300万円に引き上げることも掲げた。しかし、達成期限や産業別の成長目標など工程は明確に示されなかった。当時の公約を報じた琉球新報も、財源や手法の不透明さを指摘している。ここまで空手形を繰り返されると、「自民系候補なら政府とのパイプで経済が活性化する」というのも、政府が作り出した迷信にすぎないのではないかと感じてしまう。それは、現在の高市政権の経済対策の停滞。そして、30年間賃金が上がらず、世界経済から取り残される「失われた30年」を作ったのが自民党政権であることからも、明らかなように思える。まして自民党がその失策で作り出したとも言える経済停滞を、自民党推薦の古謝候補が改善するというのだから、マッチポンプだとの声もある。残念ながら古謝候補は告示3日目の今日、すでに声が枯れていた。10年以上選挙を見てきてこんな候補者は初めてだった。選挙に適した体づくりやペース配分ができていないように思える。選挙に勝ったことがない、下積みをしていないという政治家として致命的な弱点が露呈しているように見えた。ずっと優等生で優秀なエリートあったと思うが、やはり事務方向き。政治家としてのダイナミズムや資質は、デニー候補や、撤退した下地ミキオ氏にさえ遠く及ばないと感じた。実はそういう声は沖縄自民党の内部からも出ている。やはり前述した、「沖縄県知事を中央自民党政府の手に取り戻すために出向してきた『公務員』」という評価が的確だろうと感じる。(ちょっと厳しすぎるだろうか?)紆余曲折、長く感情的な文章になったが、最後に言いたい。所得が倍になった沖縄は、どんな沖縄なんだろうか?スタートアップ企業の育成を古謝候補は掲げるが、自民系市長によって先んじてそれが行われてきたこの名護市では、一部の人だけ儲かって格差が広がっている。突如として東京の理屈というか、競争社会が持ち込まれた感覚がある。そういう企業が地元の人に不払いをするなど、無責任な経営をしている話はいくつも聞こえてくる。所得が倍になった沖縄は、果たしてどんな沖縄なんだろうか?家賃も物価も倍だろうか?高度成長期のように環境破壊や公害は起きるだろうか?この島々に根付いてきた文化や風土、共同体は、その経済合理性を求める競争の中でどう変化するだろうか?破壊されてしまうのではないか?私はそれがとても気がかりだ。今回の選挙もきっと、「基地か経済か」という紋切り型の二元論で報道されるだろう。しかし、私がここまで書いてきたのはそのアングルが誤りだという話だ。そもそも、沖縄県民が選挙のたびにこの2択を迫られてきたことが異常なのだ。今回の県知事選は、「基地か経済か」ではなく、解像度を上げれば「自己責任か、社会的連帯か」という選挙だ。競争に勝った者だけが豊かになる島か。それとも、多くの人が安心して暮らし、弱い立場に置かれた存在を社会全体で支える島か。この選挙で問われているのは、一人の知事を選ぶことだけではない。私たちが、どんな沖縄を望むのかである。この選挙は、ひとりひとりの県民がそれを考える機会であると思うし、選挙権のない県外の人間は、沖縄に背負わされてきた理不尽と向き合う機会にしてほしい。この複雑さや理不尽を生み出してるのは、私たち「本土」に暮らす人間の責任だからだ。今回、選挙取材を続ける中で、ある沖縄の保守系の人物の話を聞いた。「米軍統治下時代の沖縄を知らない人間が、県知事になっていいと思いますか?」その言葉には、今までにないほど重く、燃えるような説得力があった。この感覚は僕ら「本土」の人間には計り知れないものだろう。歴史と現在と未来を背負いながら混沌に突き進む沖縄県知事選挙、引き続き、取材を進めていく。なお、今回の知事選には玉城氏・古謝氏のほか、兼島俊氏、末吉正弘氏、比嘉隆氏、屋良朝助氏の計6人が立候補している。